『降霊』感想


降霊 ~KOUREI~ [DVD]

 黒沢清監督。元々はテレビ用として制作された映像作品。1999年放送。


 音響技師の夫とふたり、霊能力を持ちながら決して派手ではない生活を送ってきた女性がふとした偶然から事件に巻き込まれ……。



 名前はかねがね聞いており自分の中で大きな存在となっていた、黒沢清といよいよ対峙するに当たりファーストコンタクトとして選んだ作品(本当は『蜘蛛の瞳』にするつもりだったが近場にはレンタルの取扱がなく断念)。


 ホラーというのは、意識的に避けてきたジャンルだ。幼少期に『地獄先生ぬ〜べ〜』等によって味わった恐怖体験、科学に対する興味関心の一方で生じたオカルトへの嫌悪感、そして推理小説を主に読むことで強固となった「理路整然と解き明かされるフィクション」を好む傾向。とにかくホラーには近づかないようにしていた。
 年齢を重ねてジャンルの食わず嫌いは良くないと実感してからも、結局のところ霊的な恐怖の感情を娯楽として消費する意識は生まれず、あえて積極的に踏み込んでいくこともなかった。



 いざ本作を観てまず印象的だったのは、何となくイメージしていたのとは打って変わったサスペンス色の強さ。心霊現象のような「よくわからないもの」によってではなく、極めて現実的なレベルで「おいおい、こいつはヤバいぞ……!」と手に汗握る緊迫感があった。何によって、仮にこういう事態に陥ると、どのようなマズい状況が生じるのか。理由の判然とした恐怖。
 放送局で音響担当として働く夫を演じるのは役所広司。ときに霊能力に悩まされる妻を静かに受け入れ、実直に仕事と向き合い、落ち着いた日々を過ごす様はとても似合っていた。
 そしていよいよ霊と向き合う問題に直面していくんだが、「見たら死ぬ」みたいなルールが明示されているわけではなく、サスペンス的な展開とは違って危害がストレートに想像できない。しかしそこには一歩踏みこんだ怖ろしさがあった。役所広司の行動を経た(観客として追体験した)上で、単なる「得体の知れない何か」を超越した存在が立ち上がってきたとき、その不明瞭さとは裏腹に、「恐怖とは……個人の内面が生み出すものッ!」とはっきり判った(映画を構成する要素のうち「登場人物のドラマ」を軸としたホラー作品の見方が考えられそうだな、とも)。
 画面の構図については、念頭に置いて観察すると発見があるかもしれない。このレイアウトならおそらくあの辺に"出る"だろうと思わせる(実際そうなる)カットがいくつかあったので。
 どうしても言いたいので書いておく。あのシーンは「キングクリムゾン……!?」と思わざるを得ない。


 変に意気込んで臨んだにしては存外楽しめたので、怖がりながらもある意味ほっとするという妙な視聴感に。今後はホラーもぼちぼち観ていきたい。でもやっぱり、ふと思い出して身震いしてしまう感覚は苦手……。



 ちなみに、本作を選んだ決定的なきっかけは以下のツイートによる。

 平方イコルスンのいちファンとして、(ジャンルへの思い入れはともかく)自分なりのホラー論を持っていないのは悔しいな、と。もちろん、好きな作家のインプットを探るという欲求も大きい。

 関連して『黒沢清の映画術』を読む動機を再発見できたのも収穫。